NewFD200mmF2.8の悲しい思い出
写真を本格的に・・・というのもおこがましいけれど、それなりに始めたのは1982年、大学に入った年でした。初めて自分用に買ったカメラは、父親の持っていたのと同じミノルタ製の一眼レフです。
そのカメラで、風景、スナップ、花、山、ヌード、etc・・・とにかくなんでも撮りました。
やがて撮影対象は自然風景や花に絞られていきます。
写真撮影に関する知識も増え、さらに写真が上手くなりたいという欲も出てきたところで欲しくなったのがスポット測光機能でした。
そこにグッドタイミングで発売になったのが、Masahiさんが阿寺渓谷に落とした名機キヤノンT90です。
一目惚れとはこのことでしょうね。
かなり高い買い物ではありましたが、24mm、35mm、50mmマクロの3本のレンズと一緒に、私は発売早々それを手に入れたのです。
けれども望遠系のレンズまでは手が回らず、当面はミノルタ時代から使っていたタムロンの望遠ズームをそのまま使用することで我慢することにしました。
タムロンのレンズはマウントアダプターを替えるだけでいろいろなメーカのボディーに装着することが出来たのです。
けれども所詮は廉価版ズームです。
短焦点側の3本の単焦点レンズに比べると画質の差は歴然でした、しかも暗い。
不満はやがて欲望へと変っていきます。
「画質の良い望遠レンズが欲しいぞ」
この欲求は日を追うごとに膨らみ、ついにNewFD200mmF2.8の購入を決断しました。
このレンズ当時の価格は97,300円也。
高級レンズといっても良いでしょうね。
貧乏性の私は今でも10万円以上の価格のレンズなんてほとんど持っていません。
当時も貧乏学生だった私にとっては、これはもうほとんど「清水の舞台」の世界だったわけであります。
その当時カメラ機材は大学1年生のときにお世話になった(というより写真の世界に引き込まれるきっかけを作った)松本市のカメラ屋さんで買っていました。
もちろん最初のミノルタも、T90もここで買ったのです。
私の通っていた大学は教養学部の1年間は松本市、2年目からは長野県内各地に散らばる学部へと移るというシステムだったので、T90を購入したときは私の住まいは既に長野市でした。
それでも休みの日にはバイクを駆って戸隠や鬼無里あるいは生坂、八坂を抜け、白馬や安曇野で写真し、午後は松本のカメラ屋さんでおしゃべりをして帰るということをいつもやっていたのです。
200mmレンズ、そして何を思ったかストロボまで注文したのは冬でした。品物の入荷の連絡を受けて松本へ。
流石に長野の冬ではバイクは寒いので、そのときはのんびりと篠ノ井線に揺られて行きました。
電車の中での時間潰しにと本を一冊。作者も内容も忘れましたが、バイオレンスものでした。菊池秀行の作品みたいなやつです。
かくして私は念願の200mmレンズをついに手に入れたのであります。
当時は大口径望遠ズームなんてのはありませんでしたから、この200mmF2.8っていうのが大口径望遠レンズの代表格だったと言ってもよいでしょうね。
ついに私も大口径望遠レンズのユーザになれたのです。
「清水の舞台から飛降りた甲斐は絶対ある」と、そのときは思いました。
ええもう間違いなくそう思いました。
夜になって帰路へ。
帰りももちろん篠ノ井線です。
電車を待つ間、読みかけの本を取り出して続きを・・・これがまたちょうど佳境、面白いところだったのですね、息もつかせぬ場面が続きます。僅かな時間だったのですがのめり込んでしまいました。
電車に乗ってもずっと本に熱中・・・で、ずいぶん経って・・
「あれ?」
「荷物は?・・レンズはどうしたっけ???」
「グッ・・・グァーン、な・い・じ・ゃ・ん」
「どうしたんだろ、どうしたの・・・あ、そういえば持って乗ったっけ??」
「ま・・松本駅のホームに置き忘れたわ!!」(超アホ!!)
長野駅で駅員さんに話して松本駅に連絡してもらうも、ブツは見つからず
・・・・万事休す。NewFD200mmF2.8は一度もT90につけることなく、私の側を離れて行ったのです・・あぁ。
という、清水の舞台から飛降りて死んでしまったお話でした。
アタシバカよね〜としか言い様が無い(-_-)
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